
風がハンパなかったですね!
昨晩もごーごー風が音を立てていて
帰りはずるずる車線の中を蛇行するほど。
そんな中でワタシの目の前の車は
対向車が来るたびに車線の中を
左によけて蛇行するサンデードライバーさんなもんだから
ダブル蛇行で後ろの車はさぞや怖かったことでしょう・・・。
もっち~さん、リカさんとお別れして東京に戻った後は
北海道でお世話になりましたakumakozo親分が上京されるってことで
新橋に17時30分集合。
だったのですが、何を勘違いしたか17時に新橋についてしまい、
寒さをしのぐためのビルに入ったら偶然花ひつじ夫妻と名古屋から来られているという団体さんと合流できました。
詳細はよくしらないで参加したのですが、
フタを開けてみたら、akumakozo親分のチームはしろうぜぃの皆様方と、
愛知のチーム旅の皆様方との合同新年会だったのです。
ワタシ親分とひつじ夫妻、utunosamuさん夫妻、おくさんだんさんしか存じ上げてませんでした。
が。
バイク乗りってすごいですね~バイクという共通点があるだけであっという間に仲間です。


この新橋の宴の模様をupされているブログはたくさんありますが、
誰一人料理写真はアップしてないというwww
箸付と


お刺身~
焼き物と~


ここでサラダwww
豚バラの鍋!

〆はうどんでした。
が!ほっとんど料理に手を付けられることなく飲みまくりの宴で、

始終こんなイメージw
ほぼほぼみなさんお互いが初対面のはずですがwww
もーワタシもほっとんど大騒ぎしてましたがw


そのくらい非常にたのしぅございました。
masaruお兄様に引き続き、第二弾生き別れの雪だるまペアルックのお兄様のakinakaさんとお会いしたりwww


(画像拝借はおくさんより)
akinakaのお兄様はワタクシのことを有名人なぞと某所でのたまわれておられましたが・・・
自分の方が有名人じゃーんwww
で、宴もたけなわ。
このたび還暦をお迎えになられたakumakozo親分の赤いちゃんちゃんこ代わりの赤いダウンが用意されておりました。もちろんユニクロですwww

赤いふんどしまで・・・。


そして薬玉まで・・・w
カオス化した宴はカラオケボックスに移動した後も続き・・・


チーム旅の親分のタカさんはミニスカ生足で熱唱www
チーム走ろうぜぃレアTシャツ!

それからプレゼントを持ち寄ってのじゃんけん大会~!


ここでもお祝いにケーキがでてきて


親分にケーキをたべさせていただいてる愛知からご参加のヤスさん
ひつじさんのとりまき役は秋田からご参加のカチカチ山さん


チーム旅の親分ご夫妻からのハートチョコのお土産と~

akumakozo親分からはマルセイバターキャラメルのお土産を頂戴しました~。


いつかみんな北海道へ向かおうと心に誓って
ホントあっという間の楽しい6時間でございました。
その中で、akumakozoさんの上京の目的はお墓参りと、祖父母がお住まいだった福島へ訪問されることだったとお話くださいました。
荒れ果てた浜通りの景色。震災のまま時が止まった警戒区域を北上され、復興フラッグのもとへ。
そのときの様子がブログに書かれています。
ブログにもかかれていますが、
「福島へ行ってください、自分の目で何がどうなったのか見てください。」と魂魄を込めた言葉で訴えておられました。
涙がとまらなくなりました。
私は、このブログで自分がボランティアに行っていることを書いた記事はすべて消してしまいました。
「なぜボランティアに行ってるの?自分だったらボランティアに行ってるってことを
ブログに書きたくて行くような気がして偽善っぽくて自分には行けない」
と言われたり、
私という人間は、バイクで品行方正でない走りをするような人間なのだから
「ボランティアに行ってることすらウソのように感じる」と言われたこともあり、
自分の素行で悪く言われるのは仕方ないとしても、
他にボランティアに行かれてる人までそういう目で見られるのは決してあってはならぬと思ったのです。
ですが。
2011年6月に南相馬に初めて入った時の人気のなさ。
船が打ち上げられた田んぼ。
ひっくりかえって縦につきささった車。
1階部分が全部波にのまれたお宅の片付け。
作付できなくなってしまった田んぼを前に途方に暮れるお父さん。
避難生活で狭い家の中で動くこともなくなって足が悪くなったお母さん。
その中でも、1年1年と片付いていく瓦礫。新しくオープンしていく店。
つらいことばかり起こった土地だけれども、
そこに残って暮らす人たちのさまざまな心の乱れの中に一本通った強い芯。
それになんどこちらが励まされたことかわかりません。

この写真を撮ったのは南相馬の小高区。
津波で浸水した地域でした。
アスファルトの上に、流れ着いたわずかな砂にもかじりついて根を張ってる名もなき草。
浜通りで踏ん張っておられる方々の姿が重なります。
私は福島には縁もゆかりもありません。
震災前は訪れたこともありませんでした。
ですが、ボランティア先として真っ先に行こうと思ったのは福島でした。
震災直後からその復興を願い続けてきたものとして、
私も浜通りは全国民が一度その目で見ていただきたいと心から強く願っています。
震災から1439日が経ちました。4年です。
普段生活している首都圏では誰も震災のことなど思い出すこともなく、
震災で被災された方も普段の生活が戻ってるくらいに思っているのが現状です。
同じく津波で被害を受けた宮城や岩手では復興が進み、あの日のままの場所はほとんどなくなってきています。
ですが、福島の浜通りでは今もあの日のままの時が止まっているところが存在しているのです。
あれだけは、テレビや写真の映像なんかでは伝わらない。
自分の目で見なければ、あの空気感はわからない。
浜通りの現状は福島での出来事ではなく、
日本に住んでいる自分たちが当事者なのだと思い知らねばならないと思います。
福島に住む人たちが受け、今も続いているこの苦しみを、
我々が何ものちの教訓としないのだけは許されないことだと思うのです。
バイクに巡り合ったおかげで、たくさんの新しい出会いがありました。
akumakozo親分やhoshizouさん、おくさんやだんさん、チーム旅のたかさんをはじめ、
バイクに乗っていなければ出会うこともなかったであろう懐の大きな方との出会いに感謝ですね。
ついつい日常に流されて忘れがちな今日も生きて命があること、
それはアタリマエのことではないことを改めて胸に刻んで精一杯大事に生きていきたいと思います。