« タイムインハートCAT店 | メイン | クリスマスツリー »

私は貝になりたい

私は貝になりたいを見に行きました。
別に中居くんが特に好きってわけじゃないんだけど、
この予告編を見て、これは見なきゃって思ったのです。

最後のエンドロールに流れる桜井さんの唄。
花の匂いのPVは、まさに私は貝になりたいそのものでした。

以下ネタばれ。内容重い。映画見たい人は読まないでね。

ストーリーは、3つ。
戦争下におけるこの国の狂気。
房江と豊松の家族愛。
そして牢獄。

戦争下、この国では二等兵は牛や馬と一緒なんです!と訴えた豊松の言葉。
人をひとり殺すと殺人、でも、大量に殺すと英雄だったというあの時代。
でも、きっと、今生きてる私たちと感じる心になんら変わりはなかったはず。
いやな時代に生まれたものです、このセリフに集約されている気がした。

重い内容のこの映画を、2人の絆が救ってくれているように思う。
身重になった房江と2人、仕事をなくし、崖っぷちまできたときに
これ以上進むところもないから、ここで2人でやろうってゆった豊松。
お金なくても2人だったら、好きな人とだったらなんだってできる。
苦労かけるって男は思ってたとしても、好きな人とだったら女は苦労だとは思わないんだよ。

豊松が牢獄に入って、絞首刑の判決を房江に伝えなかったとこでも泣けた。
子供2人連れて、2日もかけて東京まで行って、私が心配するから伝えなかったの?
私はあんたを心配しちゃいけんの?って泣きながら豊松につめよるシーン。

男は女に心配をかけたくなくて、女は男の苦労や悩みを分けてほしいと思う。

戦争を体験した人たちの戦争を厭う感情の中で
無理っていわれてた200人の署名を集めたのだって、
雪道の大変な道中とか、冷たく断られるシーンでは
ちょっとも描かれてなかったけど想像を絶するつらさやったんじゃないかと思う。
自分の愛する人が死刑判決で、そばにいてくれなくて、2人も子供抱えてすごい心細かったはずだよね。
しかも、頑なな人たちに頭下げて罵倒されて、フツーへこんじゃうよ、心弱くなっちゃうよね。

それでもあきらめなかった房江の気持ち、痛いほど伝わってくる。

牢獄の中では囚人と軍人が描く、国を超えた人と人との心のふれあいというか変化。
アメリカ人の軍人が、豊松が赤ん坊なかしてるときに
アメリカのあやし方で泣き止まそうとするのとか
敵と味方じゃない、同じ人間と人間だったのにっての思い出させてくれる。

そして、人が人を裁くことの難しさ、理不尽さ。
人が人を死刑にできるのは合法的な殺人だと思う。
許されない残虐な事件を起こしたものは皆死をもってあがなえばそれでいいのか?
死をもってあがなうことでは再発を防ぐことはできない。

豊松は死んだ。

生まれ変わってくるなら、人間はいやだ、私は貝になりたい、と手紙を残して。

さて、ここで映画は終わってしまう。
見た人間に重く、苦々しい後味を残して。
私は実にこういう映画が苦手だ。
見てる側はこの時点でこの映画は厭世思想、念仏指向となって生きてる世の中いいことないから
死んで西方浄土にいきましょうってなんとも後ろ向きなメッセージを受け取ってしまうこととなる。

人間がヤダってゆったって、人間なんだもの・・・。。。
人間がヤダってつきつめていくと、死ぬしかなくなっちゃうからさ。
そんなんで映画のかなり後半までは号泣してたんだけど、最後涙さーっと引いちゃったさ。

最後に流れるミスチルの「花の匂い」こそ、この物語を貫いている房江の芯の強さにふさわしい。
花の匂いのPVは、お父さんの作ってた花の種を残された家族がまいて、それが花を咲かせる。

もちろん、この貝になりたいのように悲しくて辛いばかりの家族がたくさんいたのも事実なのだろうけど。

コメントを投稿