映画「遺体-明日への十日間」

映画「遺体-明日への十日間」

バイクに乗らない休日、映画を見てきました。

岩手県釜石市。

混乱のさなか、津波の犠牲者が次々と運び込まれていく体育館で、
遺体を葬送できるようになるまでの10日間を真実を元に描かれた映画でした。

「やるべし」

混沌とした中で、民生委員さんが奮い立ち、何度も口にした言葉を
最初は戸惑って見ていることしか出来なかった市役所の職員さんも
見習い、次は自分たちで考えついた出来ることをやり、
やがて、市役所の職員さんだからこそできることへと行動を起こしていきます。

極限の状態の中、
人の持つ心の強さを、たくさんたくさん本当にたくさん教えてもらったこと。
今生の忘れられぬかけがえのないタカラモノです。

「なんで私なんかが生き残っているのか・・・」
市役所の職員さんが、小さな子供のご遺体を目の当たりにしたときに
堪えきれずに泣きながら口にしていました。

誰も、こんな風に、別れがくるなんて思ってなかった。
今、生きていること。
アタリマエのようでいて、アタリマエではないこと。
日々の暮らしに流されて、忘れてはいけないこと。

ご遺体の火葬が間に合わず、職員さんの交渉で秋田や青森で
火葬の受け入れがされることが決まり、
ご親族とともに搬出されるご遺体をお見送りするシーンで映画は終わります。

当時、東京でもご遺体の火葬を受け入れておりました。
それに対して放射能を気にする都民が騒ぎ立てた折、
猪瀬副知事(現都知事)が
「ご遺体ですよ。もう少し思いやりをもてませんか?」と
一喝されたことを今でも鮮烈に覚えています。

もうすぐ2年経ちます。

大切な方々を亡くした悲しみは癒えることはないでしょうが、
亡くなられた方のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

そして、被災した方々もそうでない私らも
「精一杯自分の人生を生き抜くこと」
がこの震災で亡くなられた方への手向けになると心から思いました。

12件のフィードバック »

  1. 映画の内容思い出して、また泣いちゃったじゃないか。。。
    あの当時、東京ではそんなやり取りがあったんだ。
    猪瀬都知事ってゴリゴリのワンマンなパフォーマンス派ってイメージだったけど。
    そういえば、瓦礫の焼却問題でも都が先陣をきって受け入れをしてくれたんだよね。

    南相馬市小高区でボラが不足………orz

    • >和屋さん
      あの映画は最初っから最後まで号泣しっぱなしで、
      映画館もすすり泣きでいっぱいでしたね・・・。
      まぁ、石原節はすごいインパクトありますけど、
      震災の日、数々の行政の指令系統をすっとばして、
      化学消防車を被災地に即向かわせたり、
      電車が止まってしまった中、各施設を開放したりと、
      そのあとの妊婦さんに優先して水を配布したり等
      都内の混乱がさほどではなかったのは、
      あのときの行政の行動力のおかげだとワタシは評価しています~。

      やっぱり冬場は凍結や雪の道路に慣れてないうちらが車で行って
      事故ったりするのはかえって迷惑になるので自粛している部分も多いんですよね・・・。
      お金が湯水のように使えれば夜行バスとかで行きたいのですけどね。

  2. 予告だけで・・・・泪が・・・
    早いですね、もうすぐ二年・・・
    先日、かみさんが『津波の被災地を子供に見せて良いかな・・・』と、
    小学4年と1年ですが、自分は見せるのに賛成だと。
    時が過ぎれば、人間の記憶も風化します。
    でも、忘れてはいけない事がたくさんあると思う。
    見てみたいと思います。この映画も・・・

    • >hosubeeさん
      この映画を、被災してないワタシ達は見ることができましたけど、
      実際被災された方が見るとかなり辛い部分もあるかもしれないと思いました。
      それでも津波や揺れのシーンはカットされたりとすごく配慮されたものではありますが。
      ボランティア、阪神大震災のときに自分は子供で何もできなかったけど、
      たくさんのボランティアの方が来られたのを覚えているから
      今回来ましたって学生さんや若者が関西からはるばる来られてましたよ。
      是非、おこさんを連れて行ってあげてください。
      ワタシも今年は福島はもちろんのこと、宮城、岩手まで北上しようと思ってます。

    • >ライダー2年生さん
      うん、いろんな悩みあるけど、
      今、辛いことをつゆともみせず現実と向き合ってるみなさんのことを思うと
      まだまだ頑張れるじゃん自分って思えるよ。
      今年は福島行って和屋さんデビューしようね!

  3. もうすぐ二年なんですね。
    本当に死ぬかと思ったあの地震の瞬間を忘れられません。
    だからこそ!!今年こそ行ってみようと思います。東北に。。。

    • >成香さん
      猫のことが心配で6時間かけて歩いて帰ったあの日。
      明日のことがわからなくておびえてた日々。
      自分たちのことばっかりしか考えないにわか放射脳な都民たちに怒りを覚えた日々。
      たくさんの福島の人たちのあたたかい心に励まされた数々の出会い。
      今自分の生活の大半を占めているバイクも、
      震災がなかったら乗ることはなかったし。
      浜通りまで東北道からまっすぐだし1時間ほどで着きますよ。
      早くあったかくなるといいですね。

  4. 火葬の受け入れだけではありません。

    震災直後から駆け付けてくれて。
    その後の風評被害などで経済的に大打撃を受けても文句も言わず。
    賛否はあったのかもしれませんが、がれきの処理も引き受けてくれて。
    昨年の観光客数は岩手宮城福島3県はかなり回復したにもかかわらず、
     影に隠れて芳しくないまま。
    それなのに、やはりいまだに恨み言を言わない・・・

    どこの話かといえば、東北の日本海側の県の話です。

    三陸出身の一人として、いつかは恩返しをしたいと思ってます。
    ぜひみなさんも、太平洋側で宿がとりにくいときは、
    日本海側の温泉地に宿をとってみてください。
    ルートに組み込むのもいいかもしれません。
    高校生のころ、東北6県をまたにかけて原チャリでツーリングしてた感想では、
    太平洋沿岸まで、想像よりずっと近いですよ(^^)

    • >ミッドナイトイエローさん
      そうですね。
      そうでした。
      物流が滞って物資が不足していたのは山形も秋田も同じでした。
      まだ混とんとしていたときに被災地に親を探しに行くと友人ががんとして聞かなかった時、
      ガソリンがないのに、こっちから行く人間が現地の物資を消費するな!と叱咤しながらも
      内陸のガソリンの給油ポイントを教えてくれたのも山形の友人でした。

      震災がなければ、こんなにも東北のいいところ
      知らないままでいたかもしれません。

      たくさんの人の思いに支えられて
      たくさんの人の思いが積み重なって
      自分たちができることで支援を続けて行けたらいいと思います。

  5. もう2年経ちます。
    まだ2年です。
    この胸に、昨日の事として残る。
    まだ、映像より現地にある。

    誰もここで整理するな
    こらからですよ。

    • >namaさん
      そうですね。
      もう首都圏の日常からはもう意識してない人の方が多いのが現状です。
      福島の沿岸と宮城・岩手の沿岸では災害の質が違います。
      今年は地獄の仕事明けに長めに休みを取って、
      北上しようと思っています。

      ワタシは福島以外は陸前高田しか見ていないんですよ。
      namaさんの東北紀行も参考にして走ります!

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