県道382号は、津波の壊滅的な被害を受けた
薄磯、豊間地区を走ります。
まわりから災害瓦礫が撤去された以外は、去年訪れたときのまま・・・。
残された家の基礎だけが、かつてここに家が建っていたあかし。
一時期、この基礎の部分に立ち入り、写真を撮っている人がいたことを、
ご遺族の方が非常に悲しまれていたと、伺いました。
こうやって被災地を訪れると・・・
ご遺族の想いには寄り添う努力は出来ても、
その心の奥にある想いをわかることは決してできないと今でも思います。
進んでないように見える街の様子。
進まざるを得ず変えられていく街の暮らし。
被災地に訪れた人のブログにたまに行き当たったりしますけど、
大抵の人がただ観光に訪れるだけしかできないご自分を申し訳なく思ったと綴っておられます。
ワタシ自身も、被災したわけでもない、ましてや親族やゆかりがあるわけでもない自分が
こうしてただ何をするでもなく、うろうろしていることに
すれ違う地元の方に、苦々しく思われているのではないか・・・と
やっぱり申し訳ないというかうしろめたい気持ちが先に立ってしまってました。
うしろめたい?
こんな風に思ったのは初めてでした。
でも、それって、実際になんの話もしないで
相手の心情を勝手に想像してるにすぎない。
言葉は悪いけど、最初っからニュートラルでないんですね。
上から目線というか、
同じ場所にいないというか、
話すこともしないでただ被災の爪痕をみて神妙になって
誰もそんなこと思ってないのに勝手に自分の中で
「なんか申し訳ない・・・」って気持ちになってるのもおかしな話です。
被災地を訪れるのは何のためか。
災害ボランティアを始めたときに自身に誓ったことは、
続けられない支援なら最初から手を出すな!ってことでした。
この土地に元の笑顔は戻らないかもしれないけど、
たくさんの笑顔がまたこの土地にあふれるまで継続して形を変えて訪れ続けよう、と。
復興といっても人と人とのつながりの中でしか進まない。
自分の大切な場所に、
遠くから訪れてくれる人がいたら嬉しいように。
バイク乗りが旅先で普通にそうするように。
お店の方、食堂で隣り合った方、
ほんのすこしだけ、他愛のない話題で話してみる。
震災の話になることもありますし、
そうでないときもあります。
人が気持ちの上でも経済の上でも復興しなくては、街や国の復興もない。
これから訪れる人たちが、それぞれの出会い重ねて
かけがえのないきずなにしていくことができれば
本当の意味での人の復興が進むと思うし、
人が復興すればおのずと街は加速度をつけて復興していく。
すいません、なんか、うまく言葉にできないな。
県道382号、海岸線沿いを北上して道の駅よつくら港へ。
ここも津波が襲って去年リニューアルオープンしたところです。
柱に、手書きのメッセージの陶器が埋め込まれてました。
ここでの目的は~
おくさんの食べてたウニ尽くしwwwおくさんストーカーみたいやなw
でもっ!
釜飯は日替わりでウニ釜飯は日曜日限定メニューだそうでがっかり~。
あったかいおそばとウニの貝焼きにでもしようかなと思ったのですが、
ウニの貝焼きののった海鮮丼があったのでそれを頼みました~。
煮汁のしみこんだ海老とホタテがおいしかった!
( ̄¬ ̄*)じゅるぅ
みっっっっっっっっっっちり
ラ・ラ・みゅうのと比べると若干小さかったかな?
これはチリ産の貝焼きだそうです。
よつくら港のはあたためてないので、冷凍を解凍した感じがありましたけど
地元で採れたウニで作るウニの貝焼きはさぞやおいしかったんでしょうね~。
いつか、いわき産のウニの貝焼きを食べたいものです。
たくさんの気持ちがこめられた道の駅。
本当に、去年ボランティアで手伝いに来たときよりは
町並みも整えられていたし、
災害瓦礫の撤去も進んでいました。
でも、まだ、みなさんの心に花は咲いてない。
これから何年、何十年かかるかわからない道のりだけど、
花が咲いてるねって感じられる日まで、
この街とこの街に住む人たちとこの先に進んでいけたらな、と心から思うのです。
日が暮れる前に高速に乗ろうと15時にはいわきを出発しましたが、
途中水戸あたりで完全に日没。
日が暮れた後の高速は極寒。
そして悪夢の守谷SAから断続渋滞50km( ̄Д ̄;)
守谷から芝浦まで150分の予定を、
全行程20km/hくらいですり抜けなんとか2時間かけて19時前には帰宅。
渋滞さえなければ2時間半くらいでつけるんだよねぇ。
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