東京タワーがライトアップをやめて
浮かび上がらせた文字。
絆。
ミ・エストにも南相馬で買った絆のシールを貼っています。
でも、絆って?
冬の間は、南相馬へ通うのもお休みしていたから、
メディアの情報や、ネットで得られる情報をもとに、
知ったかぶりして被災地ではあーだこーだというのはイヤだったから
ここでは触れないようにしていましたけど。
3月11日が明けました。
いわき市内では、様々なイベントがあり、たくさんの人たちが足を運びました。
震災から1年、それぞれにたくさんの想いがあったでしょう。
撮影を通して、今日もっとも印象に残ったというか考えさせられた1枚をアップします。
この写真に写っている方はご遺族です。
この場所は、家族が亡くなった場所、そして、自宅のあった場所です。
… 喪服のまま、ただひとり涙を流しながら袋いっぱいにゴミを拾っていました。拾っても拾っても津波で来たゴミではないゴミが散乱していました。
“絆”とか、”被災地を観て考えたい”という前に、震災を理解してください。
震災は、フィクションではありません。
そこは、実際に人が亡くなり、自宅や財産が奪われた場所です。
この方は、私を知っていて私に訴えてきました。
「こんな理不尽なことばかりです。人が亡くなった場所で、イベントを行って、ゴミを捨てて行くって、哀しくて悔しくて。もう前に進む力も、訴えていく力も無くなりました。」と。
これで良いのですか?
震災から1年、ひとりひとりもう一度真剣に考えなければならない問題です。いわき在住カメラマンの高橋智裕さんのコラムより全文引用
サイトには、1人の喪服の女性の写真が添えられています。
復興「イベント」ってなんだろう?
それが本当に被災された方々の望まれていることなのかな?
1年経ったから区切り?
誰のための、何のための区切りなの?
NHKの特集で福島の子供たちに、私は元気な子供が産めますか?
とか言わせるようなインタビューが報道されていたとか。
NHKに何の意図があってこんな報道をしてるのか全くわかりません。
元気な子供が産めるかどうかなんて世界中のどんな健常な女性にもわからないことです。
元気な子供が産めたって、
事故にあって命をつなげないこともある。
障害をもつことだってある。
そんなのを視覚で訴えるメディアで報道したら、
疑問を持たない大多数の日本人は
その言葉だけが頭の中にインプットされて腫れもの扱いがエスカレートするのは目に見えてるはず。
それでもそんなシーンだけを報道するのはお涙ちょうだい?視聴率獲得?
子供たちには、不安を植え付けるだけの無責任な情報を垂れ流すメディアの情報を
鵜呑みにしない強さと賢さを身につけて欲しい。
私には福島にとどまることが大丈夫かどうかなんて学者じゃないしわからない。
でも、うわっつらな言葉でそこから出れば、なんとかなりますよなんて言葉はかけない。
福島を出て新しい生活を始める人にはそのサポートを、
そして福島に残りたい、福島で踏ん張りたいって人がいる限り、そこで生き抜いていく手伝いを続けたい。
そう思います。
二輪の免許をとったもう一つの目的は
南相馬へ通える足を持つこと。
品川から300キロを超える道のりは
半分の180キロを走るだけでへたる私には遠い道のり。
高速にも乗れない私には更に高いハードル。
身の丈に合わないかもしれないけど、
でも、目標があるからこそ、上達できるよね?