
吾輩はエストレヤである。名前はまだ無い。
どこで生れたかとんと見当がつかぬ。
何でも同じバイクがずらりと並んでいたところという事だけは記憶している。
吾輩はここで初めて人間というものを見た。
しかもあとで聞くとそれはライダーという人間中で一番道楽な種族であったそうだ。
このライダーというのは我々を捕えてあちこち走らせ、こき使うという話である。
しかしその当時は何という考もなかったから別段恐しいとも思わなかった。
ただ吾輩を捕えたライダーの顔を見たのがいわゆる人間というものの見始であろう。
この時妙なものだと思った感じが今でも残っている。
吾輩は捕えられたものの明けても暮れても雨ざらしの上でじっと寝て居るだけであった。
月に1、2度火を入れてもらって走ることはできたわけだが、
こき使われるというのとはよほど違った環境であった。
何年この人間にとらわれていたのかは今となってはわからない。
吾輩の自慢のキャンディサンゴッドオレンジの車体は色あせ、
磨けば磨くほど光るはずのメッキはくすみ白サビが浮いてきてしまっていた。
このあたりまでは記憶しているがあとは何の事やらいくら考え出そうとしても分らない。
ふと気が付いて見ると吾輩はまたたくさんの兄弟の並ぶ屋根つきの居場所におった。
人間に捕らわれる前と違ったのは、吾輩を含めたくさんの兄弟たちも
ずいぶんくたびれた様子になってしまっていたことだ。
吾輩を捕えていた人間はどうしたのだろうか。
泣いたら人間がまた迎に来てくれるかと考え付いた。
試みにやって見たが誰も来ない。
そのうち雨風もしのげるここで余生を暮すのも悪くないかと考えだした。
そんな折、ちょっと前に吾輩の顔を眺めにきた女がいた。
吾輩にまたがり、吾輩の鼓動を聞いた後、5分もせぬ間に去って行ったので
そのときはさほど気にもとめていなかった。
が、たまに吾輩の車体の埃を払ってくれていた店の主人が女が帰ってすぐに
吾輩に何やら札をぶらさげていった。
売約済みとかかれておるようだった。
店の主人はその女が帰ってから、何やら吾輩のあちこちの様子を見てくれた。
油が回り、冷たく凍っていた心の臓に火が入れられ、久しぶりに生き返った心地がした。
そして3年前の10月21日のことである。
その女はまた店に現れた。
店の主人は吾輩の心の臓に火を入れるキーをその女に渡したのである。
吾輩は今度はこの女に捕らわれたようである。
この女は、以前の人間に比べると、運転はへたくそだし、何よりよく転ぶ。
よくぞまぁそんなにころりころりと転べるものだと呆れもするが
転ぶたびに吾輩の自慢の車体は傷だらけになっていく。
この傷は雨の日に転んだときの。

この傷は栃木のトンネルの中で転んだときの。

この傷は秋田のトンネルの中で転んだときの。

そして転ぶたびに、ごめんねごめんねといって泣くのである。
泣いて謝られるくらいなら転ばないでくれと思うのだが、
そこはまぁこの女に捕らわれている身としては
この女の命を無事に家に送り届けることが吾輩らに課せられた使命である。
吾輩の最大の自慢は、この女に捕らわれて2か月目にこの女が車に撥ねられたときに、
大した傷も負わすことなく家まで無事に送り届けたことである。
もちろん吾輩の自慢の車体は凹み、擦り傷だらけになり、
あろうことかフロントフォークが曲がってしまったのだがその満身創痍の中
90kmという道のりを走り切れたことは人間の命を守りぬくという大きな自信につながった。
そしてこの女は「我々を捕えてあちこち走らせ、こき使う」ライダーという種族の鑑のような女であった。
とにかく休みがない。
雨が降ろうが、風が吹こうが毎朝毎晩忙しく「職場」というところに進路を取って吾輩を走らせる。
「職場」に行かない日はもっとひどい。
いつもより3時間も4時間も早く叩き起こされ、それこそ12時間以上走りっぱなしとか日常茶飯事だ。
正直へとへとになってオイルを溢れさせてしまうこともある。
当初はとんでもない女に捕らわれたものだと思ったのだが、
この女が「職場」に行かない日を待ち望むようになったのはいつごろからだったか。
この女が訪れる日本のあちこちの風光明媚な景色が目に飛び込んでくるたびに
この女と一緒にヽ(o⌒▽⌒o)ノわぁっという歓声をあげるのが楽しくなってきた。
だが、この女の吾輩への労わりの技術はひどいものなのだ。
ねじをまわせばねじ穴をナメる、そんな力をいれないでくれって思うこともあれば、
そんなゆるゆるじゃ走ってる間に壊れるわ!と突っ込みたくなることもある。
休みなく走れば走るほど吾輩の体にはガタがくるのだがこんな技術では疲れも取れない。
だが、この女は自分にその労わりの技術がないことは重々承知しているようで、
吾輩を定期的にゴッドハンドを持つ技術屋のところに送り込んでくれ、
疲労が蓄積した部分を労わってくれるのだ。
この女に捕らわれてからというもの、心の臓に火がともらない日はほとんどない。
最初はその酷使に悲鳴をあげていたものだが、
吾輩らバイクというものは、油を挿し、摩耗した消耗品を適宜交換し、
毎日走っていることが一番の健康なのだと最近になってようやくわかった。
かくして吾輩はついにこの家を自分の住家と、この女を自分の相棒と極(き)める事にしたのである。
もはや吾輩には捕らわれているという感覚はない。
この女が望みさえすれば、どこへだって連れて行くことができる。
この女は吾輩にも翼があることを自覚させてくれたのだ。
吾輩はハイオクなる御馳走も食わないし、高いオイルも食わないから別段肥(ふと)りもしないが、
まずまず健康で跛にもならずにその日その日を暮している。
名前はまだつけてくれない。
ミ・エストなどと対外的には呼んでいるようだが、猫に例えると「私の猫」と呼ばれているようなものだ。
が、欲をいっても際限がないから生涯この女の家で無名のエストレヤで終るつもりだ。
こうして職場の駐車場でこの女を家に連れて帰るのを待っている間も、
次の職場に行かない日はどこに連れて行ってくれるのか、
この女をどこに連れて行くのか楽しみにしていたりするのである。
-完-
エストレヤ カスタム 2000年式。キャンディサンゴッドオレンジ&エボニー

ミ・エストを相棒に迎えたのが2011年10月21日。
それからちょうど3年が経ちました。
1年前の10月21日56495kmからはじまって

2014年10月20日で87423km。

実に30928km。
今年は南相馬へはあまり自走しなかったので距離的にはそんなに走ってるつもりはなかったのですがwww
蓋をあけてみれば今年も3万キロ。
買ったときは5168kmだったので、通算で82255km。
8万キロも、大した故障もなくよく走ってくれてます。
これは1年分のガソリンのレシートですw

2013/10/21-2014/10/20までの総給油量 960.64L レギュラーガソリン151,834円 平均燃費32.19km/L
給油先のレシートの場所を後で見返すのもなかなか楽しいですよ。
今年は共に北海道の大地を走り、
また山という新しい世界への扉を開いてくれたミ・エスト。
自分はバイクに何を求めてるかなぁって思ったら
やっぱり
「感動」
のひとことに尽きるなって思います。
走って行った先に広がっていた絶景を見たときの感動!
そのときに、そこにいたからこそ見れた一瞬の感動!
そして心に残るたくさんの出逢い、そして縁。
それがあるからやっぱりまたバイクで走ってしまう。
その感動を少しでも伝えられたらと思ってブログで自慢するwww
ワタシが手に入れたエストレヤというオレンジのバイクは
もはや宝物なんて言葉で済ますことができないほどのワタシの人生になくてはならない存在です。
10万を目の前にしてますます絶好調なミ・エスト。
キャブをオーバーホールしてからは燃費40km/Lをたたき出すこともあります。
ゴッドハンドの整備さんいわく、「バイクは毎日走らせることが一番の特効薬」と。
hoshizouさんいわく、
「バイクって10万キロ乗ってあげると、心を宿し、
ライダーを事故から守るためにいろいろなシグナルを送ってくれます。」と。
ミ・エスト4周年を迎えられたときには間違いなく10万キロを超えているでしょう。
今からとても楽しみです。
恒例の経県値マップもやってみました。

生涯経県値では特に増えたところはないのですが、
ツーリングでは北海道と新潟が増えて、宮城にも泊まりました~。

青森をうめればいよいよミ・エスト東日本制覇です!

また新しいミ・エストとの4年目も、何卒ミ・エストとヒトミンをよろしくお願いいたします。
仕事がタイトなので来週までろくに更新できないかもしれませんが
コメントのお返事と福島ツーの続きと長野ツー、時間を見つけて書きたいと思います。
↑去年も全く同じこと書いてるよwww