10月21日。またこの日がやってきました。
ミ・エストと私の珍道中が始まった大切な日。
エストレヤ カスタム 2000年式。キャンディサンゴッドオレンジ&エボニー。

ミ・エストを相棒に迎えたのが2011年10月21日。
今日でそれからちょうど4年。
その溺愛っぷりは今更言うまでもないですねw
どこにいくにも一緒にいた。
私が望めばどこへでも連れて行ってくれた。
本気で一生このバイクだけでいいと思ってた。
ばあちゃんになっても一緒にとことこ走っていたいと思ってた。
自分の墓場には墓石代わりの墓標に立ててほしいと思ってた。
海賊漫画のワンピース。
大好きなんですよ。
漫画の44巻に、
それまで一緒に旅を続けてきた満身創痍の船メリー号のラストシーンが描かれています。
船の竜骨がやられて、走れなくなったメリー号を、
船長のルフィが火をつけて見送るシーン。

崩れ落ちながら、メリー号がルフィ一味に語りかけます。
ごめんね・・・もっとみんなを遠くまで運んであげたかった・・・
ごめんね・・・ずっと一緒に冒険したかった・・・
だけど・・・ぼくは・・・
このシーン、毎回読むたびにいつか来るかもしれないその日を重ねてしまい、
感情移入して号泣し頭痛くなるほどでした。
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2015年10月4日。
交通事故を起こしました。
10:0の事故です。
自身の赤信号見落としによる直進でタクシーと衝突。
胸部を強く打ち付け、肋骨2本骨折、肺挫傷による血気胸、右指裂創。
カーブの先、100m間隔あったか、信号が2つ並んでいた場所で、
2つ目の信号を見落としたようです。
当然減速などしてなかったので50~60kmの速度で衝突しました。
その衝撃を受けたときに、
ああ、この衝撃ではミ・エストはもうダメだ・・・と思ったのを覚えています。
バイクに乗って5年。
赤信号の見落としなど今までしたことなかった。
自分の運転が信じられませんでした。
疲れていた。
そうかもしれません。
九州ツーから帰ったその週からボランティアに通いだし休みをとっていませんでした。
でも、東日本大震災で隔週でボランティアに通い続けていたから
このくらいダイジョブとも思ってました。
実際はもう4年も前の話です。
加齢による自身の体力の衰えを自覚せず体力の過信。
それもひとつの原因でしょう。
不幸中の幸いで人身事故ではなかった。
先方に怪我はなかったものの、怪我を負わせていたら・・・
ましてや相手がバイクや歩行者だったら・・・。
いや、それでも!赤信号で突っ込むなど
どんないいわけをしてもすまされるはずがありません。
・・・交通犯罪者の自分が恐ろしい。
事故で入院はせずにすみました。
1週間は自宅で療養し、職場復帰。
通勤災害ということで労災扱いにしてもらえ、
10:0では任意保険では出ない治療費の負担もせずにすみました。
が、痛み止めでもらっていたロキソプロフェン60mgが体に合わず、
事故より10日後の14日、急性胃炎の疝痛で呼吸困難になり救急搬送ののち即入院。


ようやく退院できたところです。
事故を起こし、動くこともできずミ・エストの損傷状態を確認もできないまま救急搬送で運ばれ、
その治療中にバイクを移動する手配をしてほしいと警察より電話が入って
いつものショップに電話してもらいミ・エストは引き揚げてもらってました。
もし、懇意にしてるショップがなかったら・・・。
ベッドに固定されて身動きが取れない状態でどうしたら?と途方にくれていたと思います。
ミ・エストは、フロント部分の修復不可能なまでの全損。
お別れの廃車の手続きをしにショップに会いに行きました。
ミ・エストの損傷状態を見て、
自分に命があったのは、軽傷で済んだのは
私の命をミ・エストが全身をもって身代りに守ってくれたのだと。
事故の戒めに、ミ・エストの形見をもらって帰りました。

2011年10月21日。5168kmで出会いました。

実際はこのあと308kmくらい走っていたと思うので、
総走行距離100783km。
ミ・エストと走った33都道府県。

日本制覇まであと、14県残すだけだった・・・。
溺愛していたバイクを志半ばで壊して手放すことになってしまい、
どこにいくにも一緒だったバイクを壊してしまったことにまだ心がついてけないです。
いろんな現実を受け入れるのに精いっぱいで、
いろんなコメントに返事できる自信もなく
ごくごく親しい一部の方に話した以外はひた隠し内緒にして
ここまでひっぱってきましたが・・・。
新しいバイクは、もう手配中で、バイクを降りることはないつもりですが、
自分自身、歩いている時ですら、いつなんどき私みたいなクソばばあが車やバイクで
突っ込んでくるかも?と気が気でなく、交差点で信号待ちをしているときは車道から広く離れ、
音もなく前を見てない自転車が猛スピードで突っ込んでくるかも?とかビクビクしながら道を歩いててかなりのトラウマがあります。
また、こんな事故を起こした私がまだ乗り続けようと思っていることに対して非難の声もあって当然だと思います。
いつ、バイクを再開できるかはまだわかりませんが。
・・・ま、怪我が治るまでは再開できませんがw
九州ツーレポの続きは完成させるつもりです。
いろんな新しいところに連れて行ってくれて、
日本全国のたくさんの縁・絆を結んでくれて、
それまでの自分の狭い世界からはかりしれない大きな世界への扉を開いてくれた。
災害派遣従事等車両として迎え、福島の復興とともに走り、
最後まで災害派遣等従事車両として働いたミ・エストを誇りに思う。
こんな風に壊してしまったけど、すごくすごく大切にしていたよ。
ミ・エストと当然のようにこれからもずっと一緒に冒険できると思ってた。
・・・ごめんね・・・
今まで、本当に、ありがとう。

Hasta la vista, mi est…
悔やんでも、泣いても、叫んでも、
ミ・エストは戻らないから、
ミ・エストが守ってくれた命を大切に生きるよ。
そして事故関連で大変お世話になってる皆様方に感謝の意を込めて。